このページの記事目次 (カテゴリー: 補習校だより)
- スポンサーサイト [--/--/--]
- 遠足に行ってきました! [2016/07/04]
- 2015年度巡回指導 [2015/10/05]
- SWIMMYが補習校にやってきた [2015/05/04]
- 日本語補習校について [2015/02/27]
- 墨絵鑑賞と体験 [2013/07/15]
↑
--/--/-- (--) カテゴリー: スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/?overture" target="_new
--/--/-- | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | ↑
2016/07/04 (月) カテゴリー: 補習校だより
7月3日、ニューカレドニア日本語補習校の生徒と父兄、卒業生数名で遠足に行ってまいりました。
遠足で訪れた場所はTHIO。かつてティオのニッケル鉱山の鉱夫として雇われた日本人移民が初めてニューカレドニアに踏み入れた場所です。
移民は1892年(明治25年)より始まり、初回移民の599人を皮切りに1920年(大正9年)頃までに5,500人以上の日本人がニューカレドニアに渡りました。
ニッケル鉱夫としての契約は5年でしたが、契約終了後もニューカレドニアに残り、商売を始めたり農業をする者、契約途中で逃げ出し、他の仕事に就く者など、勤勉だった日本人は当時のニューカレドニアで頭角を現し、ティオ村だけでなくニューカレドニア全土にて活躍していました。
しかし、太平洋戦争の開戦により在留日本人の運命は一転し、1941年の真珠湾攻撃翌日より敵性外国人と見なされ、ニューカレドニアの日本人は収容所送りになりました。
鉱夫としての移民だったことから、移民のほとんどが男性で日本人女性がいなかったことから、多くの日本人が現地の先住民やヨーロッパ系現地女性と結婚をしていましたが、戦争により日本人である父のみ収容所送りとなり、戦後も戻ってくることが容易でなかったため、島に残った現地妻と子供は父と生き別れになった悲しい歴史があります。
現在縁あってニューカレドニアにて生活している日本人の子供たちに少しでもニューカレドニアの日本人の歴史について知ってもらうため、企画された遠足でした。

THIO村にある、ニッケル博物館を訪れ、前日に事前勉強したニッケルについてのあれこれを体験し、展示されている日本人移民の当時の写真も見ました。

博物館見学の後は日本人墓地へ行き、2012年の日本人移民120周年を記念して建てられたメモリアルの前で日系3世でもある現名誉領事マリージョー・ミッシェルさんの話を聞き、献花。

その後1933年に建立された供養塔の前で献花後、お経を上げ、参加者全員で焼香をあげました。

ランチをティオにあるモアラ・ビーチで食べ、帰途につきました。
途中病気になる子供もなく、無事遠足を終えることが出来ました。ニューカレドニアに住んでいてもなかなか訪れる機会のないティオ。同伴の父兄にも勉強になった遠足でした。
遠足で訪れた場所はTHIO。かつてティオのニッケル鉱山の鉱夫として雇われた日本人移民が初めてニューカレドニアに踏み入れた場所です。
移民は1892年(明治25年)より始まり、初回移民の599人を皮切りに1920年(大正9年)頃までに5,500人以上の日本人がニューカレドニアに渡りました。
ニッケル鉱夫としての契約は5年でしたが、契約終了後もニューカレドニアに残り、商売を始めたり農業をする者、契約途中で逃げ出し、他の仕事に就く者など、勤勉だった日本人は当時のニューカレドニアで頭角を現し、ティオ村だけでなくニューカレドニア全土にて活躍していました。
しかし、太平洋戦争の開戦により在留日本人の運命は一転し、1941年の真珠湾攻撃翌日より敵性外国人と見なされ、ニューカレドニアの日本人は収容所送りになりました。
鉱夫としての移民だったことから、移民のほとんどが男性で日本人女性がいなかったことから、多くの日本人が現地の先住民やヨーロッパ系現地女性と結婚をしていましたが、戦争により日本人である父のみ収容所送りとなり、戦後も戻ってくることが容易でなかったため、島に残った現地妻と子供は父と生き別れになった悲しい歴史があります。
現在縁あってニューカレドニアにて生活している日本人の子供たちに少しでもニューカレドニアの日本人の歴史について知ってもらうため、企画された遠足でした。

THIO村にある、ニッケル博物館を訪れ、前日に事前勉強したニッケルについてのあれこれを体験し、展示されている日本人移民の当時の写真も見ました。

博物館見学の後は日本人墓地へ行き、2012年の日本人移民120周年を記念して建てられたメモリアルの前で日系3世でもある現名誉領事マリージョー・ミッシェルさんの話を聞き、献花。

その後1933年に建立された供養塔の前で献花後、お経を上げ、参加者全員で焼香をあげました。

ランチをティオにあるモアラ・ビーチで食べ、帰途につきました。
途中病気になる子供もなく、無事遠足を終えることが出来ました。ニューカレドニアに住んでいてもなかなか訪れる機会のないティオ。同伴の父兄にも勉強になった遠足でした。
スポンサーサイト
(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/blog-entry-68.html
2016/07/04 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | ↑
2015/10/05 (月) カテゴリー: 補習校だより
ニューカレドニア日本語補習校では、9月24日から3日間、巡回指導が実施されました。
今年はシドニー日本人学校より、菊池謙二教頭先生が、ご夫妻でいらして下さいました。
巡回指導では日頃の補習授業では体験できない、調理実習や図画工作、体育、理科、社会の授業などが行われ、毎日子供達の輝く笑顔を見ることが出来ました。

今年はシドニー日本人学校より、菊池謙二教頭先生が、ご夫妻でいらして下さいました。
巡回指導では日頃の補習授業では体験できない、調理実習や図画工作、体育、理科、社会の授業などが行われ、毎日子供達の輝く笑顔を見ることが出来ました。

(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/blog-entry-61.html
2015/10/05 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | ↑
2015/05/04 (月) カテゴリー: 補習校だより
(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/blog-entry-57.html
2015/05/04 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | ↑
2015/02/27 (金) カテゴリー: 補習校だより
ヌーメアには日本政府公認の日本語補習校があり、生徒父兄と日本人会ボランティアにより運営されております。
学校開催日時:毎週土曜日、1時半から4時半まで
開催場所:École du SACRÉ-CŒURの給食室
入学資格:両親のどちらかが日本国籍を持ち、日本人会に入会している、義務教育課程にある就学児。
1学期の授業料:子供が1人の場合:10,500cfp 2人の場合:18,300cfp
学校開催日時:毎週土曜日、1時半から4時半まで
開催場所:École du SACRÉ-CŒURの給食室
入学資格:両親のどちらかが日本国籍を持ち、日本人会に入会している、義務教育課程にある就学児。
1学期の授業料:子供が1人の場合:10,500cfp 2人の場合:18,300cfp
(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/blog-entry-56.html
2015/02/27 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ | ↑
2013/07/15 (月) カテゴリー: 補習校だより
(記事編集) http://ncjapon.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
2013/07/15 | Comment (-) | HOME | ↑ ページ先頭へ ↑ |